父の日に捧ぐ

今日は父の日。いざ我が父について書こうとしているのものの、なかなか筆が進まない。

――母の日に、母親のことを書いたのだから、今日は父親のことを書かないと!

と、力んだせいかもしれない。

父親と仲が悪いという訳でもなければ、父親が嫌いということでもない。思い出すと、噴き出してしまうようなエピソードも幾つもある。

それでも文章が湧き上がってこない。

今日の日本経済新聞『春秋』を読んでみると、世間様でも母親に軍配が上がっているようだ。古歌でも父を扱った例は乏しいらしく、現代歌人が多く扱いだしたという。寺山修司がその代表であるが、やはり彼の作品でも母親の方に力が注がれているらしい。

地震、雷、火事、おやじ”という言葉も死語となりつつあるだろう。大抵の家庭では、“地震、雷、火事、おふくろ”となっているのだから。もちろん我が家も・・・。いわゆる昭和的な父親は鳴りを潜め、女性の社会進出に呼応するがごとく、母親が家庭を取り仕切る。

一方で、描かれる父親像も変わってきているのではないか。宮崎駿作品『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』に登場する、自分の子どもを温かく見守り、優しく包み込んでくれるような父親だ。時代が求めたのか、時の流れがそうしたのか、いつしか父親も“癒し系”となってきた。強いインパクトは与えなくても、充分な愛情で満たしてくれる父親たち。
ここでお勧めしたいのが、『そのときは彼によろしく』(市川拓司著)と『恋愛時代』(野沢尚著)に登場する主人公の父親たち。両方とも恋愛小説であるが、これらの本で最も心が震えるのは、それぞれの父親が子どもを想う姿なのである。

雷を落とす存在から、陽だまりを提供する存在へ――。
“お父さん天気図”も様変わりである。

我が父は、何をもたらしてくれているのだろうか。隣の部屋から父親が聴く野球中継のラジオの音が漏れている。

――勝ってくれよ、阪神タイガース。おやじの心に雨を降らせないで